自転車のかぎ

人生はサバイバルだ。

 

 

いつ何が起こるか分からない。

 

 

みなさん薄々気付いているかもしれないが、店の前にある白いマシン(ママチャリ)が私の通勤時の相棒だ。

 

 

 

 

 

ある日の朝。

 

 

いつものように通勤するため、自転車に乗ろうとしたが、カギがない。

 

 

自転車の後輪には施錠がされたままだ。

 

  

でも、私はそんなことでは動じない。

 

 

宮本武蔵のごとく不動心である。

 

 

 

 

なぜなら、スペア―キーをカバンにいれているからだ。

 

 

備えあれば憂いなし。

 

 

 

 

 

 

 

それから3か月後。ある日の朝。

 

 

 

また自転車のカギがない。

 

 

もうスペ―アーキ―もない。

 

 

どうしてスペア―キーをあのとき備えておかなかったのだ、3か月前の私よ。

 

 

と思ってももう遅い。

 

 

もはや不動心ではない。

 

 

私の心はザワついていた。

 

 

 

どうする?

 

 

もはや一刻の猶予もない。

 

 

 

一瞬で答えをだした。

 

 

カギのかかっている後輪を持ち上げて、自転車を押して店まで向かった。

 

 

タクシーを呼ぶより、歩いた方が早い。

 

 

歩いて行くよりも、自転車も店まで持って行った方が良い。

 

 

なぜなら、店の近所の自転車で施錠を外してもらえば万事解決だ。

 

 

 

 

我ながらベストチョイス。

 

 

 

しかし、自転車の後輪を持ったまま押していくのはかなりの肉体労働。

 

 

愛用の大きな登山用のリュックにはパンパンに荷物がはいっている。

 

 

患者さん用のタオル。患者着。仕事用のズボンに白衣。

 

 

おまけにノートパソコンまで入っている。

 

 

なんちゅう重さを背負っているのだ私。

 

 

修行中の悟空じゃあるまいし。

 

 

自転車を押していると、3月なのに汗がポタポタ吹き出る。

 

 

 

 

自転車を押しながら様々な思考がめぐる。

 

 

 

『そうか、動じない心とは準備があってのものなのか。』

 

 

うんうん。失敗をすると勉強になるなぁ。

 

 

 

 

『岩尾の身と云は、うごく事なくして、つよく大なる心なり。』

 

 

『身におのづから万里を得て、つきせぬ処なれば、生有るものは、皆よくる(避ける)心ある也。』

 

 

宮本武蔵 兵法三十五箇条 三十四

 

 

 

 

 

 

その昔、メキシコシティオリンピックで銀メダルに輝いた君原健ニさんは、練習のとき

 

 

『あの電柱まで。』

 

 

『あの電柱まで。』

 

 

と思って走ったそうな。

 

 

 

私はその話を聞いた『ウソだね』と思った。

 

 

『あの電柱までって・・・。』んなアホな。

 

 

ちゃんと距離とペースを決めて練習したはずだ。と思っていた。

 

 

 

でも、自転車を押している今は違う。

 

 

君原さんの『あの電柱まで』を信じる。

 

 

 

 

自転車を押している私は

 

 

『あの電柱で一回休憩しよう。』

 

 

『次は電柱2個分頑張ろう。』

 

 

と自分を励まして頑張った。

 

 

その成果もあって、汗だくになりながらもなんとか店まで到着。

 

 

 

 

 

なんと清々しい気分だ。

 

 

いつもより店が輝いて見える。

 

 

 

真の学びとは、やはり経験から絞り出すものだ。

 

 

次からは自転車のスペア―キーをちゃんと用意しとこう。

 

 

カギがなくても、今度から自転車を半分持ち上げて、押しながら通勤するのはよそう。