正義と平等

 

ある日の朝10時、お店に90歳のお爺ちゃんがやってきた。

 

 

たま~にやってくるお爺ちゃんだ。

 

 

遠方よりはるばる車で2時間かけてやってくる。

 

 

 

だが、私の予約帳にはその日、お爺ちゃんの名前は入ってない。

 

 

お爺ちゃんに聞いてみた。

 

 

 

 

坂本『〇〇さん、ご予約してくれてましたっけ?』

 

 

爺ちゃん『・・・でんわ・・したはずじゃが・・・。』

 

 

 

 

坂本『あのぉ、他のお店に間違えて電話したんじゃないですか?』

 

 

爺ちゃん『日曜日に・・・でんわした・・・はずじゃが・・・』

 

 

 

 

坂本『日曜はお店にいなかったんですよ。東京へ勉強に行ってましたので。』

 

 

爺ちゃん『でんわしたら・・・おったが・・・』

 

 

 

 

 

調べてみると、爺ちゃんの電話番号から確かに着信履歴があった。

 

 

 

爺ちゃんは私の留守電の声を聞いて、実際に私がお店にいて対応していると勘違いしたようだ。

 

 

 

 

ガイダンスに向かって

 

 

『火曜の10時あいちゅう?。あいちゅう?』

 

 

『んん?・・・じゃあ行きますき。』

 

 

と予約をとってしまったようだ。

 

 

 

 

爺ちゃんに、あれはガイダンスという自動音声で、その時私はお店にいなかったんですよと説明したけど、理解はできなかったようだ。

 

 

 

 

 

さてどうする。

 

 

もう午前中は予約でいっぱいだ。

 

 

お昼休みもギリギリまで削って予約をいれてある。

 

 

次に予約が空いているのは夕方だ。

 

 

夕方まで待ってもらうか?

 

 

爺ちゃんの体力を考えたら、到底そんなに待てない。

 

 

私は悩んだ。

 

 

 

 

 

 

うちのお店には厳格なルールがある。

 

 

予約に遅れた人は、遅れた分だけ施術時間が短くなる。

 

 

遅れてきた人のために、時間通りに来た人の時間を奪うのはフェアではない。

 

 

と、私は考える。

 

 

これが私の考える正義と平等である。

 

 

 

 

予約なしで来た人は、容赦なくお断りさせていただく、という地獄のルールも存在する。

 

 

私は、何週間も前から予約を入れてくれて、その時間にスケジュールを合わせて来店してくれている人に敬意をもっている。

 

 

 

 

 

だが、今回のケースは・・・悩む。

 

 

90歳の爺ちゃんが2時間かけて来てくれた。

 

 

勘違いとはいえ、本人は予約をとったつもりで駆けつけた。

 

 

でも、爺ちゃんの施術をすれば、その後の午前中のお客さんは全員待たせることとなる。

 

 

施術時間も少しずつ短くなるだろう。

 

 

そんな事が許されるのか。

 

 

 

 

 

自分の作った店のルールを厳守するのか。

 

 

坂本個人の爺ちゃんへの良心を優先するのか。

 

 

 

 

 

悩んでいる暇はない。

 

 

ベッドには施術中のお客さんがいる。

 

 

待合室には次のお客さんがいる。

 

 

玄関には心配そうに爺ちゃんが立ち尽くしている。

 

 

 

 

爺ちゃんをそのまま帰すか、施術するか。

 

 

決断のとき。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局は爺ちゃんを施術した。

 

 

 

 

 

『つらい人を助けるための商売だろ?』

 

 

と自分に言い聞かして、自分のだした結論を正当化した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう出来事はいつも考えさせられる。

 

 

夜眠るときに考えこんでしまう。

 

 

どちらを選択しても後悔はあった。

 

 

私の考える正義と平等は、宙に浮いたままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人としては正しいことをしたのかもしれない。

 

 

だが、お店としては正解だったのか?

 

 

宙に浮いたままだ。