東京へカイロプラクティックの勉強会に行ってきた。
私は飛行機で東京に到着し、羽田空港から電車に乗り込んだ。
土曜の昼間だけど、それなりに混み合っている。
60歳くらいの教師風の男性が、6〜7人の男の子を連れて電車に乗ってきた。
男の子はみんな小学2年くらい。
たぶん、子供たちを引率している先生と、その生徒たちだ。
子供たちは小さな体に、大きなリュックを背負っている。
ボーイスカウトだろうか。
いや、先生がスラックスとワイシャツであるから違う。
ディズニーではもないのは明白だ。
木工教室か、国会議事堂の見学か、はたまたポケモンのイベントか。
いやいや万博帰りかも。
そこはなんでも良い。
それなりに込み合っていて、子供たちに座る席はない。
小さな体に大きなリュックだ。
私の目の前の女性が、男の子に席を譲った。
先生は深々とお礼をしている。
ここは一発、私も席を譲ればカッコ良いではないか。
しかし、声をかけるタイミングを逃した。
子供たちで席に座れたのは2人だけ。
正面の女性の譲った席と、私の隣の席。
先生はその2席を
『順番に席を変わっていこうね。』
と子供たちに言った。
座っている子と立っている子を入れ替えていき、疲労の分配と秩序の調和を保とうと先生はしているのだ。
次の駅で太郎と二郎が座って、その次で三郎と四郎が座って・・・
といった具合か。
私が席を譲ったら、先生の考えた緻密なプランが変わってしまうのではないかとも考えた。
いやいや。
本当は席を変わってあげるタイミングを逃しただけだ。
頭のなかで席を譲る実行プランと、席を譲らない事への正当化がうごめいている。
うーむ。
ここで席を変わったら、私の寿命が1年延びるかもしれない。
ここで席を変わったら、自分の娘が困ったときに、時空を超えて私の代わりに誰かが娘を助けてくれるかもしれない。
そんな見返りを頭のなかで考える。
むかし、スヌーピーの4コマを読んでいて、こんなネタがあった。
困っている人がいて、可哀想だなと思う人と。
困っている人がいて、実際に手を差し伸べる人と。
それを見ていたスヌーピーは、
『口先ばかりの優しい言葉は何の役にも立たない。』
と頭のなかで思う。
優しさとは、態度や行動で示すもの。
そう本には書いてあった。
可哀そうと思う人と、実際に手を差し伸べる人。
両者には決定的な差がある。
よし。行動あるのみ。
勇気リンリン。
私は先生に声をかけて、子供に席を譲った。
本当に心の優しい人は、自然と最初に席を譲ったあの女性のような人だ。
本当に心の優しい人は、私のようにごちゃごちゃスヌーピーとか考えない人だ。
でもでも。
心は清くないけれど。
なるべく行動は起こそうと心掛けている。