2月15日。
私は初マラソンに挑んだ。
1万人が走る高知龍馬マラソン。
私の目標は4時間を切ること。
普段の練習は30キロとか35キロまでしか走ってなかったが、練習のタイムで計算すると、あわよくば3時間50分切りも狙える位置にあった。
いざスタートすると、最初の数百メートルは早歩きくらいしかスピードが出せず、身動きも取れなかった。
途中からシグザクに走りながら人波を追い抜いていき、3キロ地点くらいから、自分と同じペースで走る集団にはいれた。
途中でトンネルがあった。
トンネルに入ると真っ暗いなか、ランナーの『カッカッカッ』という足音だけがトンネルに鳴り響いた。
1万人の大行進という感じで、なんだか幻想的だった。
私のまわりにいた人も、この幻想的な暗さと音で
『おおぉー』
『すごいね!』
と歓喜している人もいた。
私も感動しながら、ハッと気づいた。
周りで走っているランナーは、敵でも障害物でもなく、一緒にゴールを目指している同志なんだと。
周りにこれだけ人がいてくれているおかけで、とても走りやすかった。
私は周りの人達に活かされている存在だし、
私も周りを活かしてる存在の一部なんだと実感できた。
人生も恐らくそうなっていて、マラソンから学ぶことは多い。
これだけで、今日走った価値があると思える。
普段より1キロあたり5秒くらいペースを落として走っていた。
だから30キロ地点までどこも辛くなく、お散歩している感じだった。
このままゴールしたら、
『初マラソン?以外と楽だったよ。』
という感想になっていたと思う。
ところが、31キロ地点で急に左のハムストリングが
『ブルブルブルッ』
と大きく痙攣してつりそうになった。
数秒間だけ走るのをやめて、ハムストをほぐした。
走り始めたけど、またすぐつりそうだ。
この日の最高気温は20度で晴れ。
という予報だったが、実際は終始曇りで後半は小雨。
レース中の最高気温は予定より5度低かった。
私は暑さ対策で、防寒ではなく冷感用のレッグウォーマーとアームウォーマーを装備していた。
後半にきて、体が冷えていた。
左のハムストの次は右のふくらはぎ、左のふくらはぎと相次いでつりそうになった。
なんとかつらないように走るのが精一杯だ。
もはや、多くは望めないレースとなった。
とにかく完走はしたい。
残り10キロ。
ペースを落としてでも走れば4時間は切れそうだ。
とにかく足がつらないように走った。
というか両足つっているけど走った。
なるほど。
これがマラソン。
脚がつりそう以外は全然疲労感もない。
しかし、ゆっくり走らなくては完全につって走れなくなる。
フリーザが100%の力で闘うと、己の肉体を破壊してしまうので、力をセーブして闘うのと全く同じ原理だ。
36キロくらいから足の痙攣はややおさまってきた。
ここでペースアップすれば、3時間50分がまだ狙えると計算して分かった。
このまま楽なペースで残り6キロ走っても、無理してペースアップしても、タイムは1分か2分くらいしか変わらないだろう。
でも自分の限界に挑まなかったらマラソンに出た意味がない。
自分の人生も、たった1分のために出し尽くすもので在りたいと思えた。
30キロまでお散歩のようだと思っていたペースは、40キロでは脚がちぎれるようなペースになっていた。
最後の坂を上って、グランド1周してゴールテープを切った。
ネットタイムは3時間50分6秒。
(私がスタートラインを越えてから、ゴールした時間)
6秒越えてしまったけど、最後まで全力で走ったから100点だ満点だ。
マラソンは自分自身と向き合えるスポーツだ。
人との関わりも学べる。
自分は人に活かされている。
そして自分も人を活かしている。
そう実感できた。
トンネルで感じた、あの幻想的な暗闇と足音をもう一度体験してみたい。





